アヴァターの目的

 

神がアヴァターとして降臨する時、それがラーマであれ、クリシュナであれ、マツヤ(魚の姿をとった化身)であれ、ヴァーマナ(小人の姿をとった化身)であれ、その目的は一つです。あなた方は降臨の一時的な結果しか認知しませんが、神は愛についての真理を人類に教えるためにアヴァターとなって降臨する、ということを心に留めておきなさい。

 

おお、人よ、あなた方に愛がなく、身勝手さでいっぱいだから、

世界はこれほどの争いとカオスに陥っているのだよ

あなた方が愛と犠牲の精神を持ちさえすれば、

人間の中にある神性に気づくようになるのだよ

 

犠牲(ティヤーガ)の精神のない人は、あらゆる病気の餌食となるでしょう。愛のない人は生ける屍です。愛と犠牲こそが人を神にするのです。

 

愛の果報は愛のみです。愛の証人は愛です。愛にはほんのわずかな私欲もありません。愛は愛のために存在しているので、愛には恐れがありません。アヴァターがこの世にやって来るのは、人類に愛の道を教えるためです。世界は、一なるものから生じた多様性を表し示しています。神は、多様性の中に包含されている唯一性を、身をもって示します。この「多様性の中の唯一性」の気づきは、神からしか学べません。

 

クリシュナ アヴァターは、人の姿をとった遊び好きの神、世界の理想、神聖な統治者、アートマの顕現といったように、さまざまに描写されています。神に対する信者たちの純粋で穢れなき公平無私の愛を公言するために、神はアヴァターとなってやって来ます。アヴァターの活動には、悪人を罰し善人を守ること、不正を排除し正義を復興すること、が含まれていると人々は考えています。これは、人はアヴァターのすることをどう見ているかを示しています。しかし、これは主のものの見方ではありません。神の目から見ると、悪いものは何もありません。ですから、どんな存在に対しても憎悪や悪意があるべきではありません。あなたがすべてを愛している時にのみ、あなたは自分は神を愛していると言うことができます。

 

- サティヤ サイババ

 

1988年9月3日、クリシュナ神御降誕祭の御講話より

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