ギーター ヴァヒニより

ギーター ヴァヒニ

 クリシュナは、ギーターの中で何度もヨーガという言葉を使いました。ヨーガにおける個人(ジーヴィ)の状態も説明されていますが、ギーターを読んだ人は、一般に使われている言葉とクリシュナが使っている言葉の間にはまったく一致が見られないという疑問をもつかもしれません。クリシュナはいくつかの個所でヴァイラギヤ(無執着)を賞賛しています。また別の個所では、最高の自由は礼拝によって獲得できると宣言しています。霊的至福の至高の状態を獲得するためのさまざまな方法もまた詳しく説明されています。

 第九章にはラージャ ヨーガ(純粋な思考と心には自己の真実が映し出される。これが真我の悟りであり、これがラージャ ヨーガの道である)の説明がありますが、ギーターがラージャ ヨーガを教える経典だというのは正しくはありません。

 クリシュナ神への全託、外側の物質世界に人を縛りつける(鈍性・激性・浄性という)三重の足かせからの自由、善い行いと有徳な修練を守ること、これらはギーターの中で強調されている主要な真理です。神は、これらのものを、内的進化のもっとも深遠な秘儀に関する最適の訓練の形として提示しています。

 ギーターの真の意味は、誰にでも理解できるというものではありません。たぐいまれな知性を与えられていた有名な学者や作家たちでも、ギーターのメッセージの神秘を解くことができませんでした。解説者たちは、あらゆる変化の只中における完全なバランスの原理や、自由の獲得が何よりも重要であると話します。また他方では、ギーターを親しみのある西洋の哲学書と比較して、そのような曲解を加えて若者たちに教え始めるのです!もちろん完全なる放棄は大変望ましいものです。しかしそれを実践できるのはごくわずかな人に限られます。もしも特定の霊的な教えが普遍的に受け入れられる必要があるならば、日々の生活と行動の中で誰もが実践でき体験できる修練法がなければなりません。

(サイラム ニュース No.97より)

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