サイババに関する短歌
かなり以前に作った、サイババに関する短歌ですが、調べていたら解説つきで纏めていたものがありましたので、載せてみようと思います。
サイババの生家の跡に建つほこら足裏(あうら)の熱さ堪(こら)へて回る
スワミの生家の跡に建つ小さな寺院があります。そこへお参りしたときのことです。
寺院をぐるっと回るとき、たしか敷き石の上を歩くのですが日に焼けて熱いのなんのって。
裸足で歩いて、でも結局は心地よかったりして。そういう思い出から作ってみました。
わがスワミいつ出でますやひたすらにバジャン唱えてただに座りて
サイクルワントホールで、ただひたすら座りバジャンを歌う。スワミがいつお出になるのか待ち構えている。1時間、2時間と時は経つ。やっとお出ましになったときは喜びでいっぱいです。ひたすら待ったかいがあったと思います。
ステージに表情までは分からねど仕草ひとつにみ心はかる
スワミがおられるステージまで離れていて、表情までは窺えない。でも、その動き、しぐさなどから、自分に対するメッセージを受け取ろうとする。全知全能のスワミはその衣の先に至るまで、完璧に行為されるので、何万の人がいようとも、私のために何らかのメッセージを与えてくださる。
プッタパルティの思い出が我が宝なり思い出すたび至福にありて
本当に、ホワイトフィールドやプッタパルティーに行けてよかった。おそらく年老いても
その思い出が心の平安の助けとなり、幸せに暮らしていけることでしょう。
喧噪(けんそう)の店立ち並ぶ歩道より門を入ればプラシャンティーなり
外のお店にはどうしても用事があって出かけますが、お店から帰ってプラシャンティー ニラヤムに帰ったときの心静かな気持ち。結句の「プラシャンティーなり」は心が平安であるということと、そこがプラシャンティーニラヤムであるということをかけています。
シヴァラトリーのホールから出て部屋に寄る途中に誘惑のアイス屋はあり
シヴァラトリーは基本は断食ですが、ジュース屋とかアイス屋などは開いていることがある。そこを通り過ぎるとき、空腹に勝てず、アイスを一つ頂いた思い出。ホールでの席は、席を立っている間は、友人が座布団をみてくれている。
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