見る者、アートマン

 今日は、とても寒かったです。そんななか、雨や雪の降る外仕事はつらいものです。でも、そんな一日も無事に終わりました。温泉で体をじっくりと温めました。そして、今日はちょっと調子も良くなかったので、夕食に、消化によい温かいうどんを食べました。今は炬燵にあたって、キーを打っています。

 人生はいろいろなことがあります。いろいろなことがあるけど、なんとか過ぎていきます。その一部始終を見ている者があります。それが見る者、アートマンです。アートマンは何もしません。この肉体が行うことを見て、この心が思うことを見ています。アートマンすなわち真の自己は、この体でもこの心でもありません。ただそこにあって、すべてを「見て」います。

 

アートマンの本性と機能においては、すべては永遠です。世俗の感覚はすべて束の間ではかないのです。あくせく暮らすこの世の中で身体と感覚はすべて束の間ではかないものと知りつつも、人はそれを永遠であるかのようにあつかう間違いをします。アートマンの本性と機能は英知であり永遠です。人がそれを認めなくともアートマンの本性と機能は存在します。それは損失と困難の経験を超越し、なにものもそれを揺るがすことはできません。アートマンの本性と機能は、真理の具現です。それはまた至福の権化、換言すれば「アーナンダ スワルーパ」です。  ― サティヤ サイババ

 

 

PREMA DAYI

daivampremaによる、新しいサイの世界

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