バガヴァッド・ギーター
私の座右の書とも言うべき「バガヴァッド・ギーター」は、講談社発行で、辻直四郎氏の訳によるものです。古語調でありますが、訳がしっかりしていることと、昔から読み親しんできたので、私は推奨しています。しかし、個人的な好みもあろうかと思います。
ともかくも、私たちがこの人生において求むるべきものは「解脱」です。ギーターには、それに至るための神髄が明記されています。目に見えない神を瞑想することは容易ではありませんが、奇しくも現代は、神が人の姿で化身なさった類い稀なる時代であります。この神の化身であるサイと同じ時代に生きられた幸せは、私たちにとってこの上ない幸運であるということです。
バガヴァッド・ギーターのクリシュナ神の時代には、神の化身がお生まれになった、ほんのごくわずかの地域にしかクリシュナ神のことは知られていませんでした。しかし、このサティヤ サイババの時代にあっては、全世界に知られることになりました。このように、神の化身が全世界に知られるようになったにもかかわらず、サイを神の化身として認識できない人々がいることは不思議で、驚かずにはいられません。
アインシュタインも、ギーターの愛読者であったことはよく知られています。今、そのギーターの書を閉じて、あらためて適当に開いたページに見えた言葉を記しておきます。何かの気付きになれば幸いです。
『心を他に向けず、われを思念しつつ信奉する人、かく常に誠信に満てる者(nityabhiyukta)に、われは至福(yogaksema)を捧ぐ。』
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