内なる声は神の声
まだまだ寒いですね。少し、スワミの御言葉に耳を傾けてみましょう。
『神意は良心という姿をまとって存在し、あなたにあなたの義務を思い出させます。これがアンタルヴァーニ、内なる声です。しかし、あなたは内なる声を無視し、その呼びかけやメッセージに注意を払いません。そして、そのために苦しむのです。心を内に向け、知性を根本原理に向かわせ、感覚を厳しく管理することによって、内なる声というほかならぬ神の声をはっきりと聞くことができます。神意とは神のマスタープランなのです。』― ババ
このように、私たちの内なる良心の声が、すなわち「神の声」であると述べられています。内なる声に従ったとき、私たちはある種の満足感を得ます。内なる声に従わなかったときには、後ろめたいものを感じると思います。
また内なるハートに真摯に心を向けるとき、その人だけに分かる形で、神はメッセージを下さると思います。そういうことかと、本人は神のメッセージに気がつきます。それは一見ささいな日常の出来事のなかに、気づかされることがあります。しかし、本人にとっては、はっきりとそれが神のメッセージだと分かります。
神は、隙(すき)あらばその人に、悟りを得させようと待ち構えています。その人が心を内に、神のほうに少しでも向けた瞬間に、本人だけに特別な「気づき」を与えるのです。神の恩寵は、つねにその人に降り注いでいるのですが、器を上に向けなければ、恵みの雨を受けとめることができないように、ハートを内に向けなければ、恩寵を受けとることができないということだと思います。
ギーター ヴァヒニ
実際のところ、人間はそのような行為の果実を得るためではなく、行為に従事するためにこの行為の場(カルマクシェートラ)へとやって来たのです。それがギーターの教えであり根本的な教訓です。ギーターはあらゆるヴェーダの意義の神髄です。外側に向けられた行為である護摩供養(ヤグナ)と供儀(ヤーガ)はヴェーダの初めの部分に記述されています。内面に向けられた礼拝(ウパーサナ)のような思考の動きについてはあとになって触れられており、英知の(ジュニャーナ)ヨーガも、そうして明晰になり浄化された心の持ち主のために詳しく述べられています。
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