父母を満足させること

 私が最近、思いましたことは、この長い人生の道のりにおいて、自分の父母(ちちはは)を満足されることができたならば、それでもう、人生は祝福されたものになるということです。神の祝福や恩寵をあえて求める必要もありません。そのこと自体が、神の祝福となるのです。

 両親との関わりにおいて、必ずしもスムーズにいくとは限りません。むしろ、何らかのトラブルがあるのが普通かもしれません。しかしながら、諦めずに善くあろうとして、努力してみていて下さい。必ずや、報われる日がやってくるでしょう。この、己の父母を満足させようとの努力は、実際、神の恩寵を得るための最も早い近道です。そして、やりがいのあるものです。

 私たちは、どうして自分の父母と神とが関係あるのか、と疑問に思うかもしれません。しかし、スワミもおっしゃっているように、母親も父親も神の顕れなのでした。そして、他人の父母に仕えるよりも、自分の父母に仕えることは、自分にとっても、絶大なる恩恵があります。それは、その父母にとっては、自分自身は、かけがえのない子供だからです。自然と愛する事ができるものだからです。それゆえ、多大な養育のための世話と犠牲を払ってこられました。それに報いる意味においても、父母に仕えることは、意味のあることであり、当然なあり様なのでした。

 よく言われますように、嫌がらずわが子の下の始末をして下さったり、衣食を十分に整えて下さったり、良い子になるよう教育して下さったりしてこられました。私たちは、それに対して感謝の意を表することは、至極当然のことであります。

 神は、よく私たちをご覧になっています。神が、今すぐにダルシャンを与えると告げられた、ある帰依者は、それよりも、今は母の足を揉んであげているので、その後にして下さい、と神に言いました。彼は、神の今すぐのダルシャンよりも、母の足を揉むことを優先しました。これには神様も、大いに満足しました。このような帰依者が、今、必要とされています。

 

 

 

近所の公園の桜が開き始めました。ほとんどが、まだ蕾です。

PREMA DAYI

daivampremaによる、新しいサイの世界

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